My Music

吹奏楽といえばマーチ・・?

私は大学院時代まで吹奏楽との接点が全くなかった。初めて吹奏楽の作曲の話をもらった時、「吹奏楽・・マーチ?」くらいの認識だったはず。

しかし、もともと管楽器の作曲は好きだったので、興味深く取り組んだ。

私の出世作(と言っていいのかどうか)は間違いなく、全日本吹奏楽コンクール2008年度課題曲となった「火の断章」だろう。これは初期中の初期の作品ではあるが、デビュー作ではない。

デビュー作はマーチである。

行進曲「飛翔」

2007年3月、東京芸術劇場で開催された“21世紀の吹奏楽 第10回「響宴」” において、陸上自衛隊中央音楽隊によって初演された。

様々な作曲家の作品展示会みたいな演奏会で、最前線にいる作曲家の多様な音楽に触れ、驚きとともにめちゃくちゃ興奮して、その年の朝日作曲賞に間に合わせるため慌てて作曲したものが「火の断章」である。

練習立会いに訪れた自衛隊駐屯所の雰囲気にビビったり、本番当日は控え室にとても入れる空気じゃなかったので屋上でボケッと時間を潰したり、ここにいる人たちは誰なんだろう?と根本的な疑問を抱いていたり・・しかし、この出会い以降、作曲活動は一気に吹奏楽に定まった。

音色とかパレットとか・・それっぽいこと言うよりも何よりも、楽しかったのである。書いた楽譜が片っ端から音になっていくことが。

大学院の修了作品は声楽と管弦楽の作品であったが、これはついぞ演奏には持ち込めなかった。修了後、早速吹奏楽に編作したら、CDにも入れてもらえたし、楽譜も一楽章だけだが出版された。

繰り返しになるが、この頃はただただ楽しかった。

「愛の祭壇」「Bye Bye Violet」「ドールズ・コレクション I ~おもちゃの兵隊と」「恋す蝶」・・私の作品の中で比較的名の上がる曲は、吹奏楽との出会いから数年の内、おおよそ30代に突入するまでに書いたものである。

それ以降何してたんだよという批判は甘んじて受け止めます・・。

行進曲「桜雲」

「飛翔」から12年を経て、マーチを書く機会をいただいた。

陸上自衛隊中部方面音楽隊の委嘱により、同音楽隊第50回記念定期演奏会のために作曲されたものである。

   演奏は第41回吹奏楽団ハイブリッド定期演奏会より(2019.4.13 長岡京記念文化会館)

初演時のプログラム・ノートは以下の通り。

私は時々、春が怖い。蒸せ返るような生命力に飲み込まれそうになるから・・。強烈な生のシンボル、それはやはり桜だろうと思います。神代の時代、桜には子孫繁栄のイメージがあったようですね。桜の女神、木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)は安産の神様として祀られておりますし。

しかし、現代の感覚としては少々実感を伴わないかもしれません。有史以来、私たち日本人との結びつきには死生観や無常観といった、散り際の美意識が強く投影されていると思います。移ろいゆくものに対する日本人固有の敏感なアンテナが作り上げた、精神の象徴となりました。

そして、雲・・雲といえば、真っ先に思い浮かぶ歌があります。

「愛しけやし 我家の方よ 雲居立ち来も」

(懐かしい我が家の方から雲がわき起こってくることよ)

日本古代史の英雄、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が死の直前に読んだ歌の中の一つです。「我家」とは建物としての家ではなく生活の場を指し、「雲」は炊事などの煙の連想から、そこに人がいることを示す印と考えられていたとのこと。そして「立ち来も」とはただ雲が立っているのではなく立ち起こってくる、つまりこちらに差し向かってくるのです。何とドラマティックな情景・・!

桜を美しい我が国とそこに暮らす人々とするならば、その営みは雲となり空を埋めるでしょう。どこでその景色を見るでしょうか。脈々と受け継ぐこと、守ること、あるいは心に思うこと。これら一つ一つが生きるということそのものだと思います。

この二つのスコアを見比べて、まぁさすがに近作の方がオーケストレーションはちゃんとしてるけど、果たして12年という月日に値するものがあるかどうか・・どうかなぁ。

この曲は厳格な式典で演奏されるなど、私の作品の中では割と恵まれた出生ではある。未出版だから、演奏そのものは数えるほどしかされてないけど。

その数えるほどしか演奏されていないうちの一回は自演であることが、なかなかどうして不思議に思う。

作曲家としてのデビューはマーチ、指揮としてのデビューもまたマーチ。

私にとって吹奏楽といえばマーチ・・かもしれない??

二曲しか書いてないけど。